2008年10月アーカイブ

障害者自立支援法施行後、利用者、保護者、関係者等に多大な「混乱、不安」を招いている。その際たるものが、障害程度区分である。なによりも問題なのは、知的障害者、発達障害者の「最も必要とする支援」が受けられないことであり、そのスケールに障害特性が反映されないことにある。他の様々な問題は運用上の問題であり「使い方」は変えられる。このことは分けて考える必要がある。

障害の重いといわれる人への支援をしている者にとって大切な支援のひとつは、「安心できる人が傍で見守っている」ことである。そのことでかろうじて安定できていることは少なくない。見守りとは「精神的な保護」である。「目に見えない支援」は評価されない。「人は安心の中にいると物事を受け入れやすくなり、様々な能力も発揮されやすくなる」「誤解をされずに理解される関係のある」人たちの中で生きていけることが最大の支援だと思う。まさに「配慮の義務」である。

一方、軽いといわれる人たちは「軽い支援で済む」人たちだろうか。たとえば、就労支援は、生活を整え、ジョブコーチで職場の定着を図り、グループホームでの暮らしを支え、いつでも安心して相談に行くことができる「止まり木支援」が生涯に亘り必要である。また、静岡での全国大会で全国大会としては初めて取り上げたテーマ「罪を犯した障害者への地域生活支援」など軽度の人たちへの支援で困難な事例は枚挙に遑がない。

福祉先進国のように障害程度区分がなく、支援サービスを必要とする人にソーシャルワーカーが支援内容と量を判断するという方法は理想だが、日本の福祉社会はまだまだ未成熟であり各市町村にそのような人材を速やかに配置することは不可能である。

何かしらのスケールは必要なのである。それが、支援サービスを必要としている人たちのニーズとかけ離れているとしたら、日々の我々の営みが福祉的ではないことになる。だから、大事なことなのである。

「使い方」の問題で廃止していただきたい事項がある。平均程度区分で収入が決まるということである。

介護保険制度では、自らの程度区分によってサービスが決められる。当然のことながら、個々の状況に応じて支援量が決められる。誰かの程度区分によって自らの支援量が決まってしまう「平均程度区分」はどのように考えても納得のいくものではない。このことは人権的にも問題にしていかなければならないと考えるが、与党PTの改正案にも盛り込まれてはいない。いまひとつの収入の出し方は、最も程度区分が重く出る人たちが多数いる場合に使われるものであり、ほとんどは平均程度区分を使わざるを得ない。きわめて経営的には脆弱で不安定な方法である。

障害程度区分の問題は、障害特性を適切に反映したものではないことにある。それは、障害者福祉の支援の内容を変えてしまう恐れがある。

私は障害をもたれている人のたった一度の人生が、豊かで安心に包まれたものになるように「役にたっている」と確信の持てる仕事をしたいとシンプルに思っている。

(職員向けメッセージより)

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