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心を支える|町田福祉園のGMコラム
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心を支える

2012年04月13日


知的障害者の意思決定支援「心を支える」             町田福祉園GM 阿部美樹雄

1、はじめに
知的障害のある人たちの自己決定や意思を尊重し支える制度やスキルは、必ずしも障害のある本人の意思ではなく、その人の生活や人生にかかわる決定が家族や周囲の人々の安心が優位になり決定していく現実があります。

それは、家族がそのような決定をしなければならい「社会不安」があるということです。地域の中での暮らしを支えるリソースが少ないということです。とりわけ首都圏では明らかです。

意思を支えるということには、今一つの側面があります。人は人との関係の中で、安心もし不安にもなるということです。 障害のある人の意思が表現しやすい環境があり、自己決定に至るプロセスそのものへの支援がされ、その人らしい自立した生活が継続的に送れるような社会システムの構築が必要です

2、人格ある存在として対応してきたのか
 戦後の荒れ果てた国土の中で国が果たすべき責任を、憲法第25条を根拠に施設を作り措置をしてきました。多くの人たちが同じニーズである時、児童福祉法、身体障害者福祉法、社会事業法を速やかに制定し対応してきたことはパターナリズムの有効なあり様です。

 未曽有の大震災以降、政治の判断ができないでいる現状は、「有事に国は救ってくれない」という大きな失望感とアンカーを国民にもたらしました。

 パターナリズムは、保護の必要な弱い存在の対象者には必要なことです。
しかし、その対象となる障害のある人たちを一人前の自立的存在と認めることや、あるいは同情すべき存在ではなく価値ある存在として認めることと拮抗します。

そして、細やかなサインから障害のある人たちの内的世界を理解しようという姿勢に対し、無自覚的な妨げとなってしまいます。

 コミュニケーションを支援し意思決定を尊重するという営みは、障害のある人と支援者が相互に影響しあい、響きあい、互いの存在を尊重し合う、まさに対等な関係性があって成り立つものです。

3、人を「わかる」という関係性について
"わからない"から"知る"までには知識が必要です。
"知る"から"わかる"までには良質で良好な関係性が必要です。それを感じられる体験が必要です

障害のある人(以下対象者)が支援者を安心できる存在として受け入れてくれるところから始まります。当然のことながら目線が高く威嚇するような姿勢ではなく、対象者が不安をもつことなく傍で一緒にいられるよう自らの在り方を対象者と同調させます。

そして、そこで起こってくる対象者の感覚・気持ちに肯定的に反応するようにしていく(あたかも自らも同じ体験をしている)と、安心感が生まれ、信頼関係が生まれます。 最初は意識的に、徐々に意識しなくても小さなサインでもその意味することが分かるようになります。赤ちゃんの泣く意味が、オムツが濡れているのか、母乳を欲しているのかが母親が理解していく過程と同じです。相互作用です。
この過程の中で、子供は人に、母は親になっていきます。

このような"心のキャッチボール"が繰り返されているとき、人は人を「わかった」と感じます。安定的な関係性が持続するとより高い次元の言語や課題も理解できるようになり、「わかる、わかった」という体験を多く経験するようになります。

主体的、意欲的な行動も見えてきます。質の高い複雑なこともわかりやすくなり受け入れることができるようになります。

これは、支援者を通して、"他者を肯定的に受け入れてく"という人とかかわる基本を学ぶ過程です。

知的障害のある人たちの中には、孤独に人間存在の不安と闘っている人たちも少なくありません。

不安や恐怖に包まれ、合理的ではない何かに囚われている(心の自由を奪われている)とき、人は知性が働きません。

安心に包まれ開かれているとき、人は他を受け入れることができ学ぶ力が育ち喜びを感じます。

良き支援者との関係の中で、"人は信頼に足る存在"であることを学びます。同時に、日常の中で起こるさまざまな問題を解決する能力(現実対処力)がついてきます。

4、「心に添う」ということについて
 知的に障害のある人たちの多くは自己決定ができない人たちだと思われがちです。

しかし、思いをくみ取ってもらえない関係性の中で、この人たちの感情表出を許す緩やかな環境を作ってきたのでしょうか。

 さまざまな表現に対してそれを支援し育んでいくような取り組みがあったのでしょうか。

 "ちがう"感じ方をその人の体となり心となりともに感じていくような取り組みをしてきたでしょうか。

 そのような場の提供と時間を経て意思決定支援ということは語られるべきです。

 わかりづらい自閉症の人や重度の障害のある人たちは、支援者が対象者の中で起こっていることに的確に反応していける"心のやりとり"のできる力が要求されます。

 "わかりづらい"と感じる人ほど、孤独で、不安を抱え、耐えている人かもしれません。

 支援者の在り方を試されているのかもしれません。生半可ではなく本物を求めています。

 本質的で、的確な関係性が継続的に保証されると喜怒哀楽が明確になったり、ニーズがクリアになり要求が出しやすくなったり、安心に包まれ大切にされているという実感を持つようになります。

 これは生きる力の根源です。

 人生で人がもっとも幸せを感じるのは良き人間関係があるということです。 

 福祉の現場で、支援者の未熟さから利用されている人たちを孤独で無気力な状態にしてはなりません。

「生きるのをあきらめて適応」している状態にしてはなりません。

 それは、学習したものだからです。私たちに責任があります。

5、意思決定への支援者としての役割について

 私たちは通常言葉によるコミュニケーションに慣れてしまっているので、言葉の情報のみに意識が向いています。

 しかし、私たちは意識していなくても対象者から言葉以外の多くの情報を受け取っています。

 表情、目の動き、声の抑揚、ちょっとした動き、姿勢からなどさまざまな情報を一瞬のうちにキャッチし判断しています。

 身体という表現体は嘘をつけません。 

 知的障害のある人たちに対して「通訳」という役割は単に外国語を訳するということとは違い、さまざまな情報を"意味あるコミュニケーション"としてつなぎ、さらに、支援者がわかりやすいように表現し、その反応を確認しながら、本人の本当の"思い(ベストインタレスト)"に到達する過程の繰り返しにほかならないのす。

(職員向けメッセージより)

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